新東海製紙株式会社のはじまりは、明治40年(1907)。
広大な南アルプスの森林資源と大井川の豊富な水資源を背景に設立された東海紙料株式会社にさかのぼり、その歴史は100有余年を数えます。
トップページ 新東海製紙の歴史
新東海製紙株式会社のはじまりは、明治40年(1907)。
広大な南アルプスの森林資源と大井川の豊富な水資源を背景に設立された東海紙料株式会社にさかのぼり、その歴史は100有余年を数えます。
新東海製紙の原点。それは、明治28年(1895)に、創業者の大倉喜八郎男爵が約2万5千ヘクタールにおよぶ南アルプスに位置する山林を購入したことから始まります。
大倉喜八郎男爵は、明治を代表する実業家であり、貿易、建設、製鉄、食品、製紙、ホテルなど、日本の近代化を支える数多くの企業を設立しました。その一つが、明治40年(1907)に設立した当社の前身である「東海紙料株式会社」です。当時は「紙料」という社名が示すとおり、紙の原料であるパルプを製造する会社でした。
南アルプス井川社有林を購入した大倉喜八郎男爵は、広大な井川社有林の森林資源と、大井川の水力発電を動力源として、静岡県志太郡島田町(現島田市)にて砕木パルプ工場を設立し、生産を開始。日本の製紙業を黎明期から支えてきました。
このパルプ事業は、戦後本格的に製紙事業に進出するまで、当社の屋台骨を支える主力事業として成長、発展しました。
終戦後、仙貨紙(くず紙を漉き返した洋紙)の需要が急増するなかで、当社は現在の主力事業である製紙事業に進出しました。
昭和26年(1951)には、クラフトパルプ事業に進出し、社名を「東海パルプ株式会社」に変更。翌昭和27年、東京証券取引所に上場し、クラフト紙の生産も開始しました。
昭和36年(1961)、Kライナー(クラフトライナー)の生産を開始。Kライナー工場建設工事としてKライナーマシン、クラフト紙マシン、カミヤ式連続蒸解釜、回収ボイラー、火力発電設備等を建設し、生産設備の拡充をすすめた結果、島田工場の生産量は2.5倍に飛躍し、 クラフト紙は業界1位、Kライナーは業界3位となり、わが国の産業用紙業界に確固たる地位を築きました。
昭和45年(1970)、島田工場最大の生産量を誇るKライナーマシン9号抄紙機が竣工。単一工場の生産量としては、当時の世界的規模に到達しました。
このような将来にわたって限りない発展ムードに包まれるなか、社内にて「新時代にふさわしい社歌を作ろう」との気運が高まり、創立記念日にあたる12月5日に「東海パルプ社歌」を制定しました。
昭和48年(1973)には、現在の特種東海製紙グループの主力製品であるペーパータオルの生産販売を開始。その後、ラミネート事業などの新事業にも進出しました。
元号が平成に変わってからは、環境事業を新たな基軸に加え、バイオマスボイラーの建設、電力販売事業への進出をすすめました。
2000年代に入ると、製紙業界にもグローバル化の波が押し寄せてきました。国際競争力の強化・生産性の向上などが急務となり、製紙会社の合併など業界再編の動きが加速します。
このようななかで、平成19年(2007)、今後の業界環境の変化に柔軟に対応し、成長戦略をより発展的に推進するため、東海パルプ株式会社と特種製紙株式会社が経営統合し、 「特種東海ホールディングス株式会社」が設立されました。平成22年(2010)には、特種東海ホールディングスが東海パルプと特種製紙を吸収合併し、「特種東海製紙株式会社」が誕生しました。
平成19年(2007)は、当社にとって創立100周年の佳節でもありました。これを記念して、当社の原点である井川社有林に、「南アルプス白籏史朗写真館」を竣工しました。
平成27年(2015)には、赤松水力発電所を更新し、再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)を利用した電力販売事業を開始しました。
国内紙需要の低迷や設備過剰による市況の悪化など、紙パルプ業界を取り巻く環境は、厳しい状況が続いていました。
このような状況のなかで特種東海製紙株式会社と日本製紙株式会社は、段ボール原紙及び重袋用・一般両更クラフト紙事業の更なる強化を目的に、事業提携を締結。平成28年(2016)、 日本製紙との販売機能の統合により日本東海インダストリアルペーパーサプライ株式会社、特種東海製紙島田工場の分社化により新東海製紙株式会社が誕生しました。
平成29年(2017)には、新東海製紙島田工場に12号バイオマスボイラーが竣工。同ボイラーの稼動により工場内の発電設備がすべてバイオマスシステムに更新され、CO2排出量の大幅削減とともに、コスト競争力の強化が一層はかられました。
技術センター
12号バイオマスボイラーの竣工